ウソだらけの医学常識

  ●「異常あり」が82%、日本は病人国家か

  人間ドックという言葉には、体の隅から隅まで万遍なくチェックしてくれるような印象がある。だからこそ利用者は「異常なし」といわれると大きく胸を()で下ろし健康

  に自信を持つ。しかし、人間ドックの「異常なし」は決してパーフェクトを意味するものではない。そこで異常が見つからなかったと言って、その人が現在も将来も健康で

  あるという保証は何もないのである。但し、現実には、人間ドックに入って「全て異常なし」といわれる人より、何かしら異常を指摘される人のほうが圧倒的に多い。

  「人間ドックに入ると、誰でも病気にされてしまう」と言われるぐらいである。では、せめて「異常あり」という所見だけでも信用できるかというと、そんなことはない。

  ずさんな検査しかしない「ヤブ人間ドック」が信用できないのは、当然のことである。もっと問題なのは、医学的にも技術的にも優秀な人間ドックほど「異常あり」を乱発

  してしまうことである。血圧や血糖値にしろ、人間ドックの検査には、一定の標準値が設けられている。標準値とは統計的に割り出されたもので、100人を検査すれば

  80人ぐらいがその範囲内の数値に収まると思えばいいだろう。検査の結果、この標準値から少しでもはみ出せば、人間ドックでは「異常あり」と診断される。そして、

  検査の精度が高ければ高いほど、標準値と異常値の区別は厳密になる。その為優秀な人間ドックほど些細な「はみ出し」に敏感に反応し、「異常あり」の所見が増える

  のである。日本病院会関連の人間ドックを1994年に受診した人のうち、なんと82%が何らかの異常を指摘され、「精密検査や治療が必要」と67%が宣告されている。
  
  これでは、日本中、病人だらけということではないか。しかし、人間の健康状態というのは、統計に基ずいた数値できっちり割り切れる様なものではない。生体には

  「個体差」がある。いくら標準値をはみ出していても、それは生まれつきの体質であって、常識的な意味では異常と呼べないものである。それを無理やり標準値に

  近ずけようとすれば、却って健康を損なう恐れがある。分かりやすい例を挙げると、育児書などには生後何カ月の乳児は体重何g、身長何cmといった平均体重、

  平均身長というものが書かれている。多くの母親はその数値と自らの子供の数値と比較して一喜一憂する。だが冷静に考えてみれば、平均体重、平均身長ぴったり

  の子供なんているわけがないことが分かる。これは数字を足したり、割ったりして出来上がった架空の存在で、そんな”もの”をお手本とする発想が問題なのである。

  人間ドックの数値も、基本的にはこれと変わるところがないと、考えるべきなのである。しかし医者たちは生体の個体差について理解が浅い為、平均値だけで「異常」と

  「正常」の間に単純に線を引き、わずかな誤差を見つけては「病気だ」と騒ぐのである。その結果、何が起きるのか、これまで、病気を抱えている患者に対して、いかに

  医者が間違った治療を施しているかを明らかにしてきたが、その治療は、人間ドックで病人扱いされた「患者ではない患者」にも同じように行われるのである。つまり

  多くの人が、病気でもないのに血圧降下剤を飲まされたり、減量を強いられたりしている。まさに、医者は病人の症状を悪化させるだけでなく、健康な人まで病気に

  させようとしているのである。

  ●栄養学の導入なしに医学の近代化はない

  これほど多くの問題を抱えている人間ドックに頼っているようでは、いつまでたっても予防医学が進歩することはない。最近では、人間ドックで使用している胃カメラが

  ピロリ菌の温床となっていることも問題になっている。ピロリ菌は、胃潰瘍や胃癌の原因になると言われている恐ろしい細菌である。これが胃カメラを媒介にして次々と

  感染していたと言うのだから、開いた口が塞がらない。病気の早期発見を標榜する人間ドックでそんな失態が起きているようでは、予防医学の確立さえとても望めない。

  医療の中心を予防に置こうと本気で考えているのなら、医学界は根本的に発想を改める必要がある。どんなに検査技術が発達し、精密な医療機器が開発されても、

  予防医学の発達にはつながらない。必要なのは、医学者が生命現象に対する認識を改めることである。従来の医学とは別の角度から生命現象を理解しなければ、

  病気を予防することなんてできないのである。その為には、まず栄養学の導入が急務である。アメリカでは「栄養療法」について先鞭ををつけており、医薬分業の

  影響もあり、栄養補助食品に対する医師の関心度が高い。全米栄養学会でも「医学における栄養教育の重要性」を提言している。それに比較して、日本の現状は

  はなはだ心許(こころもと)ない。医師を養成する大学のカリキュラムに、栄養学がしっかり位置ずけられている例はほとんど見当たらない。栄養の摂り方によって、

  人間は健康にもなれば病気にもなる。それぞれの個体差に合わせて正しい栄養を摂取していれば、脳をはじめとする病気を予防できるのみならず、体の老化も遅く

  することができるのである。それなのに、日本の医者は未だに「栄養は栄養士」任せである。そして、栄養士はカロリー計算と、厚労省の指示に忠実にメニューを作る

  ことに明け暮れている。更に、医学の近代化を実現するためには、分子生物学との連携が絶対に欠かせない。とかく学者と言うのは、古くからの縄張り意識を

  引きずって生きる動物である。だが、無意味な垣根はすぐにでも取り払うべきである。分子生物学を医師に全てマスターしろとは言わぬが、病気の仕組みを

  理解しようとするのであれば、そのアウトラインぐらいは把握しておくのが医学者の責任というものだろう。せめて、最先端の生命科学者による多大な成果に目を向け

  耳を傾ける姿勢ぐらい持たなければ、人の命を預かる仕事に携わる資格はない。分子生物学に基ずいた栄養療法を取り入れ、治療の効果が上がり患者が

  増えたが病院の収入は増えない。何故なら、栄養療法を取り入れると、薬の使用量が減り、売り上げが落ちて、監督官庁から文句が出たそうである。

  診療効果が上がり、医療費負担が減ったのに文句が出る、そういう本末転倒な価値意識が、この国の医療行政にはびこりついているのである。

  このような例は、枚挙にいとまが無く、分子栄養学を基礎に病院食を工夫している教授に対して医師からクレームがつくことがあると言う。

  また、管理栄養士の助言で症状の改善が見られ、患者間で評判となり、医師の耳に届いた。その栄養士は「勝手なことをするな」と病院長に叱られた。

  意識の変革を迫られているのは医学界の人間だけではなく、健康が日常の食生活に大きく左右されるものである以上、病気になるか否かは本人の意識に

  かかっている。病院とは病気になった時に訪れる場所である。病気の予防を医者に任せようと思ったら、健康な人まで毎日のように病院通いをしなければ

  ならない。所詮、人生は自助努力。健康は、自分自身の努力によって維持すべきものなのである。